相続・資産承継 × 暗号通貨 シリーズ
暗号資産はなぜ「相続しにくい資産」なのか|秘密鍵という所有の仕組み、鍵が失われても課される相続税、取得費の引き継ぎまでを整理する基礎・原理編
暗号資産の相続が難しい根本原因は、価格変動ではなく「秘密鍵を知る者だけが動かせる」という所有の構造にある。鍵を失えば資産は永久に凍結される一方、相続税は相続開始時の時価で課され、鍵の有無は原則として考慮されない。自己保管と取引所保管の違い、日本の相続税評価と取得費の引き継ぎ、二重課税に近い構造が生まれる理由を、制度の原典に基づいて解説する基礎編。
slug: auto-2026-09-12-crypto-inheritance-fundamentals title: 暗号資産はなぜ「相続しにくい資産」なのか|秘密鍵という所有の仕組み、鍵が失われても課される相続税、取得費の引き継ぎまでを整理する基礎・原理編 excerpt: 暗号資産の相続が難しい根本原因は、価格変動ではなく「秘密鍵を知る者だけが動かせる」という所有の構造にある。鍵を失えば資産は永久に凍結される一方、相続税は相続開始時の時価で課され、鍵の有無は原則として考慮されない。自己保管と取引所保管の違い、日本の相続税評価と取得費の引き継ぎ、二重課税に近い構造が生まれる理由を、制度の原典に基づいて解説する基礎編。 tags: [暗号資産, 相続, 秘密鍵, 相続税評価, 資産承継] categorySlugs: [inheritance] assetSlugs: [crypto] readingTime: "9分" lastUpdated: 2026-09-12 series: 相続・資産承継 × 暗号通貨 シリーズ
株式や預金、不動産は、所有者が亡くなっても資産そのものは消えない。名義変更の手続きを経れば、相続人は間違いなくその資産を受け取ることができる。ところが暗号資産はそうではない。保有者が秘密鍵を誰にも伝えずに亡くなれば、その資産はブロックチェーン上に存在し続けながら、誰にも永久に動かせなくなる。しかも日本の税制では、鍵が失われていても相続財産として時価で評価され、相続税が課される可能性がある。本稿は、暗号資産の相続がなぜ他の資産と根本的に異なるのかを、「所有の仕組み」「保管形態」「税制上の位置づけ」の三つの層に分けて説明する。本稿は一般的な情報提供であり、個別の税務・法務助言ではない。
暗号資産の「所有」とは秘密鍵を知っていることである
暗号資産の相続問題を理解するには、まず「暗号資産を持っている」とはどういう状態なのかを正確に押さえる必要がある。ビットコインやイーサリアムといった暗号資産は、世界中に分散したコンピュータが共有する台帳(ブロックチェーン)に記録されている。台帳には「このアドレスに何単位の残高がある」という情報が書かれているだけで、そこに個人の名前は登場しない。
このアドレスの残高を動かす権限を持つのは、対応する秘密鍵を知っている者だけである。秘密鍵とは、数学的に生成された巨大な乱数であり、これを使って署名した取引だけがネットワークに受け入れられる。銀行預金であれば、通帳や印鑑を紛失しても本人確認を経て再発行できる。裁判所も銀行も、口座が誰のものかを判定する権限を持っている。暗号資産にはそのような「上位の権限者」が存在しない。秘密鍵を知らなければ、本人であっても、裁判所であっても、資産を動かすことはできない。
これが暗号資産の相続における最初の、そして最も根本的な問題である。相続とは「所有者の権利を相続人に移す」手続きだが、暗号資産の場合、権利を移すだけでは何も起きない。秘密鍵という「情報」そのものが引き継がれなければ、法的に相続人のものになった資産を、相続人は一切使えないのである。
実務上、秘密鍵は12語または24語の英単語の並び(リカバリーフレーズ、シードフレーズと呼ばれる)として保管されることが多い。この単語列から、そのウォレットが管理するすべてのアドレスの秘密鍵を復元できる。したがって、相続の観点では「この単語列を誰が、どのように、いつ知ることができるか」が設計のすべてと言ってよい。
失われた暗号資産は戻らない
秘密鍵が失われるとどうなるか。答えは単純で、その残高は永久に動かせなくなる。ブロックチェーン分析企業のChainalysisは、発行済みビットコインのうち相当な割合(同社の過去の推計では2割前後)が、鍵の紛失などによって長期間まったく動いていない「失われた可能性のある」コインだと分析している。この推計には保有者の意図的な長期保有も含まれるため正確な紛失量は不明だが、鍵の紛失が例外的な事故ではなく、資産クラス全体に構造的に存在する損失であることは広く認識されている。
この「戻らない」性質は、相続の場面で特に深刻になる。保有者が生前に鍵を紛失した場合、本人は損失を認識し、諦めることができる。しかし保有者が亡くなった場合、相続人はそもそも資産の存在を知らないか、存在を知っていても鍵の在処を知らないという状況に置かれる。故人のパソコンやスマートフォン、メモ帳、金庫を探しても見つからなければ、その資産は台帳上に存在しながら誰の手にも渡らない。
さらに厄介なのは、鍵が見つからないことと、資産が存在しないことは別だという点である。相続税の申告では、被相続人が保有していた財産をすべて把握して申告する義務がある。故人が暗号資産を保有していた事実が、取引所からの通知や確定申告の記録、パソコン内のウォレットアプリの痕跡などから明らかになれば、鍵の有無にかかわらずその資産を相続財産として扱わなければならない可能性が生じる。この点は次の税制の節で詳しく扱う。
自己保管と取引所保管では相続の難易度がまったく違う
暗号資産の保管形態は、大きく二つに分かれる。自分で秘密鍵を管理する「自己保管(セルフカストディ)」と、暗号資産交換業者(取引所)に預ける「カストディ保管」である。この違いは相続の難易度を決定的に左右する。
取引所保管の場合
日本の暗号資産交換業者に口座を開設して暗号資産を購入し、そのまま取引所に置いている場合、秘密鍵を管理しているのは取引所であり、利用者は取引所に対して「暗号資産を返還してもらう権利」を持っている状態である。この場合、相続の手続きは銀行預金や証券口座と似た形になる。相続人が取引所に連絡し、死亡の事実と相続人であることを戸籍や法定相続情報一覧図などで証明すれば、取引所は残高を相続人に引き渡す。
もっとも、引き渡しの方法は取引所ごとに異なる。相続人名義の口座に暗号資産のまま移管できる業者もあれば、一度日本円に換金して払い出す運用をとる業者もある。換金される場合は相続人が意図しないタイミングで売却が確定する点に注意が必要である。また、故人の口座がどの取引所にあるのかを相続人が把握していなければ、手続きは始まらない。日本の暗号資産交換業者は金融庁への登録が義務づけられており、登録業者の一覧は金融庁のサイトで公開されている。相続人が心当たりを探す際の手がかりにはなるが、口座の有無を一括で照会する仕組みは存在しない。
自己保管の場合
ハードウェアウォレットやスマートフォンのウォレットアプリ、あるいは紙に書いたリカバリーフレーズで自分で鍵を管理している場合、相続人が資産を手にする道は、その鍵にたどり着くこと以外にない。取引所のように相続手続きに対応してくれる窓口はなく、法定相続情報を提示する相手もいない。鍵が見つかれば相続人は即座に資産を動かせるが、見つからなければ永久に動かせない。この「全か無か」の構造が、自己保管の相続を極端に難しくしている。
富裕層の暗号資産保有者ほど、取引所のハッキングや破綻のリスクを避けるために自己保管を選ぶ傾向がある。それは保有者本人にとっては合理的な選択だが、相続の観点からは、鍵の引き継ぎ設計を伴わない自己保管は資産を「自分一代限り」にしてしまう危険をはらんでいる。
日本の相続税は暗号資産をどう評価するか
日本では、暗号資産は相続税の課税対象となる財産に含まれる。国税庁が公表している「暗号資産等に関する税務上の取扱いについて(FAQ)」では、相続または遺贈により取得した暗号資産は相続税・贈与税の課税対象となることが明記されている。
評価方法については、活発な市場が存在する暗号資産の場合、相続開始時(被相続人の死亡時)における取引価格、すなわち相続人が利用している交換業者の公表する時価で評価するとされている。活発な市場が存在しない暗号資産については、その内容や性質、取引実態を勘案して個別に評価する。相続税の税率は法定相続分に応じた取得金額に対して10%から55%の累進税率であり、基礎控除は3,000万円に法定相続人一人あたり600万円を加えた額である。
ここで重要なのは、相続税の評価が「相続開始時の時価」で固定される点である。暗号資産の価格変動は株式よりも大きく、相続開始から申告期限(相続開始を知った日の翌日から10か月以内)までの間に価格が半分になることも珍しくない。それでも相続税は死亡時の価格で計算されるため、納税資金を暗号資産の売却で賄おうとすると、想定より多くの数量を売却しなければならない事態が起こりうる。逆に価格が上昇した場合には、含み益を保持したまま比較的低い評価額で承継できる。
鍵がなくても課税されるのか
自己保管の暗号資産について鍵が見つからない場合、相続税はどうなるのか。これは実務上最も議論の多い論点である。相続税法上、財産の評価は「取得の時における時価」によるとされており、鍵の有無は評価額を直接減額する要素として明文化されていない。国会答弁においても、パスワードを知らないことを理由に相続税の課税対象から除外することは困難であるとの趣旨の政府答弁がなされたことがある。
現実的な対応としては、被相続人が暗号資産を保有していた事実を示す資料の有無、鍵の所在を探索した経緯、資産が客観的に動かせない状態にあることの証明などを整理し、税理士と協議のうえで申告方針を決めることになる。ただし「鍵が見つからないから財産ではない」という主張が一般的に認められる状況にはないと理解しておくべきである。この点は、生前の承継設計が不可欠である最大の理由でもある。
相続した暗号資産を売却したときの課税
相続税の問題は、暗号資産を承継した時点で終わらない。相続人がその暗号資産を売却したり、他の暗号資産に交換したり、決済に使ったりした場合、その時点で所得税の課税が生じる。
国税庁のFAQによれば、相続により取得した暗号資産の取得価額は、被相続人の取得価額を引き継ぐ。つまり、被相続人が非常に安い価格で取得した暗号資産を相続人が売却すると、被相続人の取得価額と売却価額の差額が相続人の所得として課税される。日本では暗号資産の売却益は原則として雑所得に区分され、給与などの他の所得と合算して総合課税される。所得税と住民税を合わせた最高税率は55%である。
この構造は、株式の相続と比べると相続人にとって重い。上場株式にも同様の取得費引き継ぎの仕組みはあるが、株式の譲渡益は分離課税で税率は約20%にとどまる。暗号資産の場合、多額の含み益を持つ資産を相続した相続人は、まず相続税(最高55%)を負担し、その後に売却すると被相続人時代からの含み益に対して雑所得課税(最高55%)を負担する。両者は課税の対象も根拠も異なるため厳密には二重課税ではないが、結果として承継資産の大半が税として流出しうる点は、暗号資産の承継設計において最も重要な前提である。
なお、相続税の申告期限から3年以内に相続財産を売却した場合に、納付した相続税の一部を取得費に加算できる「取得費加算の特例」があるが、これは譲渡所得に適用される制度であり、雑所得として課税される暗号資産に適用できるかは慎重な確認が必要である。暗号資産の課税区分については分離課税への移行を含む制度見直しが議論されてきており、実際の申告にあたっては最新の法令を確認しなければならない。
生前贈与という選択肢とその落とし穴
相続税と売却時課税の二段構えを軽減する方法として、生前贈与が検討されることが多い。暗号資産を生前に贈与すれば、贈与時の時価で贈与税が課され、受贈者は贈与者の取得価額を引き継ぐ。年間110万円の基礎控除内で少しずつ移転する方法や、相続時精算課税制度を利用する方法が考えられる。
ただし暗号資産の生前贈与には固有の注意点がある。第一に、贈与の事実をどう証明するかである。ブロックチェーン上でアドレス間の送金記録は残るが、それが贈与なのか、預けたのか、自分のウォレット間の移動なのかは台帳からは分からない。贈与契約書の作成、送金記録との紐付け、受贈者側のウォレット管理の実態が、後の税務調査で問われる。第二に、贈与によって「秘密鍵の管理者」が変わることの意味である。受贈者が鍵の管理に不慣れであれば、贈与によって紛失リスクをむしろ高めてしまう。資産の移転と、鍵の管理能力の移転は別の問題として設計しなければならない。
暗号資産の相続は「情報の承継」である
ここまでの整理をまとめると、暗号資産の相続が他の資産と異なる本質は次の三点に集約される。
第一に、暗号資産の所有は秘密鍵という情報の保持と同義であり、法的な権利の移転だけでは資産は動かせない。第二に、鍵が失われれば資産は永久に凍結されるが、税務上はそれでも相続財産として時価評価される可能性がある。第三に、相続税と売却時の雑所得課税が重なるため、含み益の大きい暗号資産ほど承継時の税負担が重くなる。
したがって、暗号資産の承継設計とは、「誰にいくら渡すか」を決める前に、「鍵という情報を、本人の生前は誰にも渡さず、死亡後は確実に相続人に渡す」という矛盾した要件を満たす仕組みを作ることである。この要件は、遺言書の作成や信託の活用といった従来の相続対策の枠組みだけでは満たせない。マルチシグや分散バックアップといった技術的な手段と、法的な手続き、そして相続人への教育を組み合わせて初めて成立する。その具体的な設計手順は、本シリーズの実践編で扱う。
次に読みたい
- 暗号資産の承継設計チェックリスト:保管形態の棚卸しから鍵の分散バックアップ、相続人向け手順書まで
- 米欧アジアの暗号資産相続税制の比較と、日本居住者から見た国際相続の論点
- 相続時精算課税制度と暦年贈与の使い分け:値動きの大きい資産をどちらで移転するか
- 民事信託・遺言信託は暗号資産に使えるのか:受託者の鍵管理という未解決問題
- デジタル遺産全般の整理:SNSアカウント、サブスクリプション、クラウドデータの承継
出典
- 国税庁「暗号資産等に関する税務上の取扱いについて(FAQ)」 https://www.nta.go.jp/publication/pamph/shotoku/kakuteishinkokukankei/kasoutuka/index.htm
- 国税庁 タックスアンサー No.4102「相続税がかかる場合」 https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4102.htm
- 国税庁 タックスアンサー No.4155「相続税の税率」 https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4155.htm
- 国税庁 タックスアンサー No.1524「暗号資産を使用することにより利益が生じた場合の課税関係」 https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/1524.htm
- 金融庁「暗号資産交換業者登録一覧」 https://www.fsa.go.jp/menkyo/menkyoj/kasoutuka.pdf
- Chainalysis(ブロックチェーン分析、失われたビットコインの推計) https://www.chainalysis.com/
