相続・資産承継 × 暗号通貨 シリーズ
暗号資産の相続税制を米英独スイス・シンガポール・香港で比較する|取得費ステップアップの有無、相続税ゼロ国の条件、日本居住者に残る「10年ルール」と国外財産調書を整理する比較・国際視点編
暗号資産の承継コストは居住国で劇的に異なる。米国・英国は相続時に取得費が時価にリセットされ含み益が消えるが、日本は取得費を引き継ぎ相続税と売却時課税が重なる。ドイツは1年超保有で売却益非課税、シンガポール・香港は相続税自体がない。六か国の構造差と、日本居住者が見落としがちな相続税の10年ルール・国外財産調書の論点を整理する国際比較編。
slug: auto-2026-09-12-global-crypto-inheritance-comparison title: 暗号資産の相続税制を米英独スイス・シンガポール・香港で比較する|取得費ステップアップの有無、相続税ゼロ国の条件、日本居住者に残る「10年ルール」と国外財産調書を整理する比較・国際視点編 excerpt: 暗号資産の承継コストは居住国で劇的に異なる。米国・英国は相続時に取得費が時価にリセットされ含み益が消えるが、日本は取得費を引き継ぎ相続税と売却時課税が重なる。ドイツは1年超保有で売却益非課税、シンガポール・香港は相続税自体がない。六か国の構造差と、日本居住者が見落としがちな相続税の10年ルール・国外財産調書の論点を整理する国際比較編。 tags: [暗号資産, 国際相続, 相続税比較, ステップアップ, 国外財産調書] categorySlugs: [inheritance] assetSlugs: [crypto] readingTime: "9分" lastUpdated: 2026-09-12 series: 相続・資産承継 × 暗号通貨 シリーズ
暗号資産は国境を持たない資産である。台帳は世界中に分散し、秘密鍵さえあればどの国からでも動かせる。ところが、その暗号資産を相続したときに課される税金は、被相続人と相続人がどの国に住んでいるかで劇的に変わる。相続時に含み益が消える国もあれば、含み益を引き継いだうえで相続税と売却時課税の両方が課される国もあり、そもそも相続税が存在しない国もある。本稿は米国・英国・ドイツ・スイス・シンガポール・香港の暗号資産相続税制を「相続税の有無」「取得費の扱い」「暗号資産の所在地判定」の三つの軸で比較し、日本居住者が海外の制度を利用しようとする際に見落としがちな日本側の課税ルールを整理する。本稿は一般的な情報提供であり、個別の税務・法務助言ではない。各国の制度は改正が頻繁であり、実際の判断にあたっては現地専門家への確認が不可欠である。
比較の三つの軸
各国の制度を比較する前に、暗号資産の承継コストを決める三つの要素を整理しておく。
第一は、相続そのものに課税があるかどうかである。日本の相続税や米国の遺産税のように、死亡時の財産の時価に対して課税する国と、シンガポールや香港のように相続に対する課税を廃止した国がある。
第二は、相続した暗号資産を後に売却したときの取得費をどう扱うかである。被相続人の取得価額をそのまま引き継ぐ「キャリーオーバー」方式では、被相続人時代からの含み益が相続人の課税対象になる。一方、相続時の時価に取得費を引き上げる「ステップアップ」方式では、相続時点までの含み益は課税されずに消える。この違いは、長期保有で大きな含み益を抱えた暗号資産の承継において、相続税の有無以上に大きな差を生む。
第三は、暗号資産がどの国に「所在する」とみなされるかである。不動産はその物理的所在地が明確だが、暗号資産には物理的な場所がない。各国は、暗号資産の所在地を所有者の居住地とみなすか、取引所の所在地とみなすかなどの基準を独自に定めており、この判定が国際相続における課税権の帰属を左右する。
米国:遺産税は高い基礎控除、取得費はステップアップ
米国の内国歳入庁(IRS)は、暗号資産を税務上「財産(property)」として扱うことを2014年の通達で明確にし、以後この立場を維持している。売却益は資本利得として課税され、1年超保有の長期資本利得には所得税より低い税率が適用される。
相続については、連邦遺産税が被相続人の遺産総額に対して課される。ただし基礎控除が極めて大きく、一人あたり1,000万ドルを超える水準にインフレ調整されており、大多数の家庭では連邦遺産税は発生しない。州によっては独自の遺産税や相続税を課すところもある。
米国の制度で日本と最も対照的なのは、取得費のステップアップである。相続人が相続した財産の取得費は、原則として被相続人の死亡時の公正市場価値に引き上げられる。つまり、被相続人が極めて安い価格で取得した暗号資産を相続人が相続後すぐに売却しても、相続時の時価と売却価額の差額しか課税されない。長期保有で含み益の大きい暗号資産にとって、これは巨大な優遇である。米国では相続直前の売却を避け、資産を保有したまま次世代に渡すことが基本戦略とされる背景には、この仕組みがある。
一方で、米国は市民権と居住の双方を基準に全世界の財産に課税するため、米国市民や永住者は海外に住んでいても米国の遺産税の対象になる。米国籍を持つ相続人や、米国居住者との国際結婚がある家庭では、日本の相続税と米国の遺産税の両方を考慮する必要がある。
英国:暗号資産の所在地は所有者の居住地
英国の歳入関税庁(HMRC)は、暗号資産に関する内部マニュアルを公開しており、相続税(Inheritance Tax)の扱いも明記している。英国の相続税は、基礎控除(nil-rate band)を超える遺産に対して原則40%の税率で課される。配偶者への承継は非課税であり、住宅を直系子孫に承継する場合の追加控除もある。
英国の制度で特筆すべきは、暗号資産の所在地に関するHMRCの見解である。HMRCは、暗号資産のような分散型台帳上の資産は物理的な所在地を持たないため、原則として「実質的所有者の居住地」に所在するものとみなすとしている。この判定は国際相続に直接影響する。英国に居住する者が保有する暗号資産は、取引所がどの国にあろうと英国に所在する財産とみなされ、英国の相続税の対象になる。逆に、英国非居住者が英国の取引所に置いている暗号資産は、英国に所在しない財産として扱われる可能性がある。
取得費については、英国も相続時の時価にステップアップする方式を採用しており、相続人が売却した際のキャピタルゲイン税は相続時からの値上がり分に対して課される。相続税と売却時課税の二段構えではあるが、含み益の引き継ぎがない点で日本より相続人の負担は軽い構造である。
ドイツ:1年超保有で売却益非課税、相続税は親族区分で大きく異なる
ドイツは暗号資産の税制において独特の立場をとる。個人が保有する暗号資産の売却益は「私的売却取引」として扱われ、取得から1年を超えて保有したものの売却益は所得税が課されない。連邦財務省は2022年に暗号資産の税務上の取扱いに関する通達を公表し、この1年ルールを暗号資産にも適用することを明確にした。
相続税については、ドイツは相続人ごとに課税する「相続税」方式を採用し、被相続人との関係によって基礎控除と税率が大きく異なる。配偶者は50万ユーロ、子は40万ユーロの基礎控除があり、遠い親族や第三者への承継ほど控除は小さく税率は高くなる。
暗号資産を相続した場合、相続人は被相続人の取得日と取得価額を引き継ぐ。したがって、被相続人が1年超保有していた暗号資産を相続すれば、相続人は相続後すぐに売却しても所得税は課されない。相続税は相続時の時価に対して課されるが、売却時の課税が事実上存在しない点で、長期保有の暗号資産にとって承継コストの低い制度と言える。
スイス:連邦レベルの相続税なし、直系親族は多くの州で非課税
スイスには連邦レベルの相続税が存在せず、相続税は州(カントン)ごとに定められている。大半の州では配偶者と直系卑属(子・孫)への相続は非課税であり、兄弟姉妹や第三者への相続にのみ課税する。連邦税務局は、暗号資産を動産として扱い、富裕税の対象財産として年末時点の評価額を毎年公表している。
個人が私的財産として保有する暗号資産の売却益は原則として非課税だが、取引頻度や借入の有無などから「職業的トレーダー」と認定されると事業所得として課税される。相続の場面では、相続人が直系親族であれば多くの州で相続税が発生せず、相続後の売却益も私的財産である限り非課税となる。ただし、暗号資産は富裕税の対象として毎年申告する必要があり、保有し続ける限り年間で資産額の一定割合が課税される点は日本にない負担である。
シンガポール・香港:相続税そのものが存在しない
シンガポールは2008年に遺産税を廃止しており、それ以降の死亡については相続に対する課税がない。また、資本利得に対する課税もないため、個人が投資目的で保有する暗号資産の売却益は原則として非課税である。ただし、暗号資産の取引を事業として行っている場合には事業所得として課税される。
香港も2006年に遺産税を廃止しており、相続に対する課税はない。香港はキャピタルゲイン税もなく、個人の投資目的の暗号資産売却益は課税対象外である。事業として取引する場合の事業所得課税がある点はシンガポールと同様である。
両地域は、暗号資産の承継コストという観点では最も軽い制度に分類される。ただし後述するように、日本居住者や日本から移住して間もない者がこれらの制度の恩恵を受けられるかは、日本側の課税ルールによって大きく制約される。
六か国の比較表
| 国・地域 | 相続時の課税 | 相続後の取得費 | 相続後の売却益課税 | 暗号資産の所在地判定 |
|---|---|---|---|---|
| 日本 | 相続税(10〜55%) | 被相続人の取得費を引き継ぐ | 雑所得・総合課税(最高55%) | 明文規定なし(相続人・被相続人の居住地等で課税範囲を判定) |
| 米国 | 連邦遺産税(高額な基礎控除) | 死亡時の時価にステップアップ | 資本利得課税(長期は軽減税率) | 市民権・居住地を基準に全世界課税 |
| 英国 | 相続税(原則40%) | 死亡時の時価にステップアップ | キャピタルゲイン税 | 実質的所有者の居住地 |
| ドイツ | 相続税(親族区分で控除・税率が変動) | 被相続人の取得費・取得日を引き継ぐ | 1年超保有なら非課税 | 居住地基準 |
| スイス | 州ごと(直系親族は多くの州で非課税) | 引き継ぎ | 私的財産なら非課税(富裕税あり) | 居住地基準 |
| シンガポール・香港 | なし | 該当なし | 投資目的なら非課税 | 居住地基準 |
この表から読み取れるのは、日本が「相続時課税あり・取得費引き継ぎ・売却時は総合課税」という三重の負担を持つ、比較対象の中で最も承継コストの高い制度であるという事実である。
日本居住者が海外の制度を利用する際の壁
海外の軽い制度を見ると、移住や海外取引所の利用によって承継コストを下げられるように思えるかもしれない。しかし日本の相続税には、そうした移転を強く制約する仕組みがある。
相続税の課税範囲を決める「10年ルール」
日本の相続税は、相続人または被相続人のいずれかが日本に住所を有していれば、国内外すべての財産に課税される。さらに、相続人・被相続人の双方が海外に住所を移していても、いずれかが相続開始前10年以内に日本に住所を有していた場合には、原則として全世界の財産が課税対象になる。つまり、日本を離れて暗号資産を海外で保有しても、出国から10年が経過するまでは日本の相続税から逃れられない。日本国籍を持たない者や一時的な滞在者には別途の取扱いがあるが、日本国籍を持つ富裕層が家族ごと移住する場合、この10年という期間が承継設計の前提になる。
暗号資産は国外転出時課税の対象外だが、国外財産調書の対象になる
日本には、一定額以上の有価証券等を保有する者が国外に転出する際、その含み益に課税する国外転出時課税制度がある。暗号資産は執筆時点でこの制度の対象となる「有価証券等」に含まれておらず、出国時に含み益への課税は生じない。この点は暗号資産を保有して移住する者にとって有利に見える。
一方で、年末時点で5,000万円を超える国外財産を保有する日本居住者は、国外財産調書の提出義務がある。海外取引所に預けている暗号資産は国外財産に該当しうる。自己保管ウォレットの暗号資産がどこに所在するかについては、国税庁は暗号資産の所在地を財産の所有者の住所で判定する旨を示しており、日本居住者が自己保管する暗号資産は国内財産として扱われる。国外財産調書の不提出や虚偽記載には加算税の加重があり、海外取引所の利用は必ず調書の要否確認とセットで考える必要がある。
国際的な情報交換の進展
海外取引所に資産を置けば日本の税務当局に把握されないという考えは、もはや成り立たない。OECDは暗号資産の取引情報を各国税務当局間で自動的に交換する「暗号資産報告フレームワーク(CARF)」を策定し、多数の国・地域が参加を表明している。日本もこの枠組みに参加しており、海外取引所の口座情報が日本の国税庁に共有される体制が整備されつつある。相続の場面では、被相続人が海外取引所に保有していた暗号資産を相続人が申告から漏らした場合、後に情報交換によって発覚するリスクが高まっている。
国際相続で実際に問題になること
税制の比較以上に、国際相続の実務では手続きの複雑さが障害になる。被相続人が海外に居住していた場合、その国の相続法に基づく検認手続きが必要になることがあり、暗号資産をどの国の法律で承継するかという準拠法の問題も生じる。海外の取引所は、日本の戸籍や法定相続情報一覧図をそのまま受け付けないことが多く、現地の裁判所が発行する遺産管理人の証明書などを求められる。
自己保管の暗号資産については、どの国の手続きも不要である一方、鍵の引き継ぎが唯一の承継経路であることは変わらない。国境をまたぐ承継では、鍵の断片を複数の国の関係者に分散させることでリスクを分散できるが、各国の税務当局に対する申告義務は鍵の所在とは無関係に生じる。「どこにあるか分からない資産だから申告しなくてよい」という状態は、どの国の制度でも存在しない。
日本居住者にとっての現実的な結論
各国の制度を比較して見えてくるのは、日本居住者が暗号資産の承継コストを下げるために海外制度を利用するには、家族全員の10年以上の海外居住という重い前提が必要であり、それを満たさない限り日本の相続税と売却時課税の構造は変わらないということである。したがって現実的な承継設計の焦点は、海外への移転ではなく、日本の制度内での対策に置かれる。生前贈与による計画的な移転、納税資金の別途確保、そして鍵の確実な引き継ぎという三点である。
海外の制度が意味を持つのは、すでに相続人が海外に長期居住している場合や、家族の一部が外国籍である場合、あるいは移住を長期計画として検討する場合である。その際には、日本と現地の双方の専門家が連携して、両国の課税と手続きを同時に設計しなければならない。暗号資産は国境を持たないが、その相続は二つ以上の国の制度に同時に縛られるのである。
次に読みたい
- 暗号資産の相続が難しい根本原因:秘密鍵という所有の仕組みと日本の相続税評価の基礎
- 暗号資産の承継設計チェックリスト:保管形態の棚卸しから鍵の分散バックアップ、相続人向け手順書まで
- 海外移住と相続税の10年ルール:出国前後で変わる課税範囲の全体像
- 国外財産調書と財産債務調書の実務:海外取引所・海外不動産・外貨預金の記載方法
- 米国籍の家族がいる場合の国際相続:日米遺産税の重複と外国税額控除
出典
- 国税庁「暗号資産等に関する税務上の取扱いについて(FAQ)」 https://www.nta.go.jp/publication/pamph/shotoku/kakuteishinkokukankei/kasoutuka/index.htm
- 国税庁 タックスアンサー No.4138「相続人が外国に居住しているとき」 https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4138.htm
- 国税庁「国外財産調書制度」 https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/hotei/7456.htm
- 国税庁 タックスアンサー No.1478「国外転出をする場合の譲渡所得等の特例」 https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/1478.htm
- IRS「Digital Assets」 https://www.irs.gov/filing/digital-assets
- IRS「Estate Tax」 https://www.irs.gov/businesses/small-businesses-self-employed/estate-tax
- HMRC「Cryptoassets Manual」 https://www.gov.uk/hmrc-internal-manuals/cryptoassets-manual
- GOV.UK「Inheritance Tax」 https://www.gov.uk/inheritance-tax
- ドイツ連邦財務省(BMF)「Einzelfragen zur ertragsteuerrechtlichen Behandlung von virtuellen Währungen und von sonstigen Token」 https://www.bundesfinanzministerium.de/
- スイス連邦税務局(ESTV)「Kryptowährungen」 https://www.estv.admin.ch/
- シンガポール内国歳入庁(IRAS)「Estate Duty」 https://www.iras.gov.sg/taxes/other-taxes/estate-duty
- 香港税務局(IRD)「Estate Duty」 https://www.ird.gov.hk/eng/tax/edu.htm
- OECD「Crypto-Asset Reporting Framework」 https://www.oecd.org/tax/exchange-of-tax-information/crypto-asset-reporting-framework-and-amendments-to-the-common-reporting-standard.htm
