オルタナティブ投資シリーズ 第6回
シンガポール・香港のファミリーオフィス|13O/13U・CIES・アジア系オルタナティブへのアクセス
シンガポールFO登録1,650社超(2019年比5倍)、MAS 13O/13U・VCC・香港CIES 2024再開。DBS・UBS・Julius BaerのDPM経由アクセスを日本居住者のCFC税制含めて整理。
読み物パート|アジア金融ハブの「今」を読み解く
2026年4月時点で、シンガポール金融管理局(MAS)に登録されたシングル・ファミリーオフィス(SFO)数は1,650社を超え、2019年時点の約330社から約5倍に拡大しました。この急増の背景には、(1) 2019年に整備された Variable Capital Company(VCC)法、(2) MASが提供する所得税免除スキーム(13O/13U)の要件明確化、(3) 中国本土・香港からの資本シフト、(4) 欧米富裕層のアジア運用拠点としての位置づけ、という複合的な要因があります。シンガポールはアジアにおけるファミリーオフィス・ハブとしての地位を明確に確立した段階と言えます。
香港では、2024年3月に Capital Investment Entrant Scheme(CIES)が再開され、3,000万HKD(約5.6億円)以上の適格投資を行う個人に対して居留権を付与する制度が復活しました。うち2,700万HKDは許容資産クラス(上場株式、投資適格債券、プライベートファンド、オルタナティブ投資等)への配分が求められ、従来の不動産中心ではなく金融資産を軸とした設計となった点が特徴です。金融管理局(HKMA)と証券先物委員会(SFC)による制度整備と併せ、香港も富裕層の運用拠点として再始動しています。
日本の富裕層・家族オフィスにとって、シンガポール・香港のウェルスマネジメントは歴史的に「プライベートバンキング(PB)経由でPEやヘッジファンドへアクセスする窓口」として機能してきました。DBS、UOB、OCBC、バンク・ジュリアス・ベア、UBS香港、HSBC Private Banking、Credit Suisse(UBSに統合)といったプライベートバンクは、Discretionary Portfolio Management(DPM、裁量一任運用)の枠内で、グローバルPE・ヘッジファンド・プライベートクレジットへの間接アクセスを提供しています。最低預入資産は一般的に100万USD〜500万USD、超富裕層向けには1,000万USD以上のアカウントが用意されます。
アジア系ヘッジファンドとしては、Dymon Asia(シンガポール、マクロ)、Segantii Capital Management(香港、アジア・エクイティL/S、なお同社は2024年に運用撤退を発表)、Tybourne Capital Management(香港、アジア株ロング・ショート)、Value Partners(香港、バリュー株)、Avanda Investment Management(シンガポール、政府系連動マルチアセット)といった主要プレイヤーがあり、いずれもアジア経済・中国市場への独自の知見を強みとしています。日本居住者から直接投資するハードルは依然として高いものの、PB経由のフィーダー・アクセスは現実的な選択肢となりつつあります。
シンガポール政府は Global Investor Program(GIP、2024年3月に要件を厳格化)を通じて、1,000万SGD(約11億円)以上の投資で恒久居住権(PR)を付与する制度を運営しています。これに加え、家族オフィスのルートでは「Family Office Scheme」として5,000万SGDの運用資産を5年以内に確保することでPR取得が可能となっており、富裕層の居住拠点としてシンガポールが選好されてきた主因です。ただし、日本居住者のまま海外ファミリーオフィスを利用する場合は、タックスヘイブン対策税制(CFC税制)やDPM経由の所得区分など、税務上の論点が幾重にも重なる点には注意が必要です。
データパート|主要指標の実数値
シンガポール・ファミリーオフィス登録数の推移
| 年 | 登録ファミリーオフィス数 | 主要スキーム | コメント |
|---|---|---|---|
| 2019年 | 約330社 | 13R/13X(旧制度) | MAS制度整備前 |
| 2020年 | 約400社 | 13R/13X | COVID-19期の関心上昇 |
| 2022年 | 約1,100社 | 13O/13U(2022年4月改定) | 改定後の要件明確化 |
| 2023年 | 約1,400社 | 13O/13U | 中国・香港からの移設加速 |
| 2024年 | 約1,650社 | 13O/13U+VCC | 運用残高も段階的に拡大 |
| 2026年4月 | 約1,850社(推定) | 13O/13U+VCC | 成長ペースは緩やか化 |
シンガポールMAS 13O / 13U スキーム要件比較
| 項目 | Section 13O | Section 13U |
|---|---|---|
| 最低運用資産(AUM) | 2,000万SGD以上 | 5,000万SGD以上 |
| ファンド構造 | シンガポール籍(VCC等) | シンガポール籍 |
| 最低現地雇用 | 2名以上(うち1名は非家族) | 3名以上(うち1名は非家族) |
| 最低運営経費 | 年間20万SGD | AUM規模に応じ段階的(50万〜100万SGD) |
| 現地投資要件 | AUMの10%または1,000万SGDの小さい方 | AUMの10%または1,000万SGDの小さい方 |
| 税務優遇 | 指定所得に対する免税 | 指定所得に対する免税 |
| VCC併用 | 可 | 可 |
主要プライベートバンクのアジア・ウェルスマネジメントAUM(2026年4月時点)
| プライベートバンク | アジアAUM | 本拠 | 最低預入資産(目安) |
|---|---|---|---|
| UBS Global Wealth Management | 約720BUSD | チューリッヒ(香港・シンガポール拠点) | 300万USD |
| HSBC Private Banking | 約430BUSD | ロンドン(香港統合拠点) | 500万USD |
| Bank Julius Baer | 約180BUSD | チューリッヒ(シンガポール拠点) | 200万USD |
| DBS Private Bank | 約280BUSD | シンガポール | 150万SGD |
| UOB Private Bank | 約130BUSD | シンガポール | 500万SGD |
| OCBC Bank of Singapore | 約130BUSD | シンガポール | 500万SGD |
| Pictet Wealth Management | 約250BUSD | ジュネーブ(シンガポール拠点) | 200万USD |
| LGT Private Banking | 約310BUSD | リヒテンシュタイン(香港拠点) | 200万USD |
| Lombard Odier | 約115BUSD | ジュネーブ(シンガポール拠点) | 300万USD |
香港 CIES 2024(再開後)要件
| 項目 | 水準 | コメント |
|---|---|---|
| 総投資要件 | 3,000万HKD以上 | 約5.6億円 |
| 許容資産配分 | 2,700万HKD | 上場株・投資適格債・ファンド等 |
| CIES Portfolio拠出 | 300万HKD | 香港政府運営ファンド |
| 不動産除外 | 住宅不動産は対象外 | 商業不動産は条件付き |
| 居留資格 | 最長7年で永住権申請可 | 家族帯同可 |
| 運用期間 | 7年間保持が要件 | 途中解約は失格 |
アジア系主要ヘッジファンド(2026年4月時点)
| ファンド | AUM | 本拠 | 主戦略 |
|---|---|---|---|
| Dymon Asia Capital | 約55億USD | シンガポール | アジア・マクロ |
| Tybourne Capital Management | 約40億USD | 香港 | アジア・エクイティL/S |
| Value Partners Group | 約85億USD | 香港(上場) | アジア・バリュー株 |
| Avanda Investment Management | 約60億USD | シンガポール | マルチアセット(Temasek系) |
| Hillhouse Capital | 約960億USD | 香港・シンガポール | PEメイン、ヘッジファンドも運用 |
| Asia Genesis Asset Management | 約15億USD | シンガポール | マクロ |
| APS Asset Management | 約20億USD | シンガポール | アジア株 |
| Ward Ferry Management | 約18億USD | 香港 | アジア株L/S |
DPM(裁量一任運用)経由のオルタナティブ配分例
| 資産クラス | 典型的な配分 | アクセス方法 | 最低ティケット |
|---|---|---|---|
| 公開株(グローバル) | 35-45% | ETF・個別株 | 10万USD〜 |
| 公開債券(投資適格) | 15-25% | 個別債・債券ETF | 20万USD〜 |
| PE(フィーダー経由) | 10-15% | iCapital・Moonfare等 | 50万USD〜 |
| ヘッジファンド | 10-15% | フィーダー・直接 | 25万USD〜 |
| プライベートクレジット | 5-10% | プラットフォーム | 10万USD〜 |
| リアルアセット | 5-10% | REIT・直接 | 変動 |
シンガポール Global Investor Program(GIP)の概要
| 項目 | 水準 |
|---|---|
| オプションA:既存事業へ投資 | 1,000万SGD以上(シンガポール籍事業) |
| オプションB:EDB認定ファンドへ投資 | 2,500万SGD以上 |
| オプションC:シングル・ファミリーオフィス設立 | 運用資産2億SGD以上 |
| 付与される地位 | 恒久居住権(PR) |
| 家族帯同 | 配偶者・21歳未満の子 |
| 要求される実体 | シンガポールでの居住・雇用創出 |
プライベートバンク経由の手数料構造(DPM)
| 項目 | 典型的な水準 | コメント |
|---|---|---|
| マネジメント・フィー(AUM比) | 年率0.8-1.5% | 残高規模で逓減 |
| カストディ・フィー | 年率0.1-0.3% | 資産種別で変動 |
| トランザクション・フィー | 0.1-0.5%/件 | PBによっては免除 |
| オルタナティブ加算(フィーダー経由) | 年率0.5-1.2% | iCapital等経由の場合 |
| パフォーマンス・フィー | 10-20%(設定時) | ハードルレート超過分 |
| 為替スプレッド | 20-50bp/両替 | 大口ほど縮小 |
日本居住者視点の実務|CFC税制・DPM・タックスヘイブン対策
居住者のまま海外ファミリーオフィスを利用する場合のCFC税制
日本居住者が海外(シンガポール・香港等)のファミリーオフィスや投資ビークルを通じてオルタナティブ投資を行う場合、タックスヘイブン対策税制(外国関係会社合算税制、通称CFC税制)の適用を慎重に検討する必要があります。
CFC税制の基本的な論点は以下の通りです:
- 外国関係会社(日本居住者が議決権または株式を50%超保有する外国法人)の所得は、原則として日本居住者の所得に合算課税される
- 経済活動基準(事業基準・実体基準・管理支配基準・非関連者基準または所在地国基準)の全てを満たす場合は合算対象外となり得る
- ペーパーカンパニーに該当するファミリーオフィスは「特定外国関係会社」として所得水準にかかわらず合算対象となる
- 現地税率が27%未満の場合は「部分合算課税」対象にもなり得る
シンガポールは法人税率17%(実効税率は各種優遇後でさらに低下することが多い)のため、特にCFC税制適用可能性が高い管轄地です。VCC構造を用いたファミリーオフィスを設立する場合でも、管理支配の実質がシンガポールにあり、現地での事業活動・意思決定が認められる構造としない限り、合算課税の対象となる可能性があります。
DPM経由で運用された場合の所得区分
プライベートバンクのDPM(裁量一任運用)を通じて運用された場合、日本居住者に帰属する所得区分は原資産の性質ごとに整理されます。
- 上場株式の配当:配当所得(総合または申告分離、外国税額控除適用可)
- 上場株式の譲渡益:譲渡所得(申告分離課税20.315%)
- 債券の利息:利子所得(申告分離課税20.315%)
- PE・ヘッジファンドからの分配:ファンド構造により配当・譲渡・雑所得のいずれか
- 為替差損益:雑所得(年間20万円超なら確定申告が必要なケースあり)
DPM運用の特性として、PBが自動的に売買を行うため、投資家は年間数十〜数百の取引を抱えることになります。日本での確定申告では、これら全ての取引を通貨換算・所得区分ごとに集計する必要があり、実務負担が大きいのが現実です。多くのPBは年次で「日本居住者向けタックスレポート」を提供していますが、日本の申告様式に直接対応しているわけではなく、会計士・税理士による翻訳・再集計が前提となります。
ファミリーオフィス設立 vs PB経由DPMの比較
日本居住者が海外金融ハブを活用する際の選択肢は、大きく二つに整理されます。
選択肢A:シンガポール・香港でファミリーオフィスを設立(自身が渡航・居住)
- 初期コスト:5,000万円〜1億円(設立・法律・会計)
- 年間運営コスト:3,000万円〜1億円(雇用・オフィス・コンプライアンス)
- 税務最適化の余地:大きい(居住者化を伴う場合)
- 所要AUM:最低2,000万SGD〜5,000万SGD(13O/13U準拠)
選択肢B:日本居住者のままPBのDPMを利用
- 初期コスト:ほぼ不要(口座開設のみ)
- 年間コスト:AUM比1.0-2.0%
- 税務最適化の余地:限定的(CFC税制の網にかかる)
- 所要AUM:100万USD〜500万USD(PBにより異なる)
富裕層の実務として、AUM規模が数十億円以下の場合は選択肢B(PB経由DPM)が現実的で、数百億円以上の資産規模になると選択肢A(FO設立+居住者化)が税務上のメリットを含めて合理性を持つ、というのがアジアのウェルスマネジメント実務の大まかな整理となります。
日本の出国税(国外転出時課税制度)の論点
1億円以上の有価証券等を保有する日本居住者が国外に転出する場合、国外転出時課税制度により含み益に対して所得税が課されます。シンガポール・香港への居住移転を検討する際は、出国前の時点での含み益の現状化(譲渡とみなされる)が発生するため、税務プランニングを事前に入念に行う必要があります。
まとめ|編集部の視点
- シンガポールはMASの13O/13Uスキーム整備とVCC法施行により、2019年以降の7年間でファミリーオフィス登録数が5倍超に拡大し、アジア・ウェルスマネジメントの中心地としての地位を確立しました。
- 香港は2024年のCIES再開により、3,000万HKD投資による居留権付与制度を復活させ、金融資産中心の設計で富裕層の再流入を促す段階にあります。
- 日本居住者にとって現実的な選択は、(1) PB経由のDPMでオルタナティブに間接アクセス、(2) iCapital・Moonfare等のフィーダーを海外口座経由で利用、(3) 大型資産家は居住者化を伴うFO設立、の3つに整理されます。
- いずれの経路でも、タックスヘイブン対策税制(CFC税制)、DPM経由の所得区分、国外転出時課税制度といった論点が重なり、税理士・弁護士との事前連携が必須となります。
- アジア系マルチストラテジー(Dymon Asia、Tybourne、Avanda等)はアジア市場の独自知見を持つ運用者として、ポートフォリオのリージョン分散を補完する位置づけで選別する価値があります。
出典・参照
- Monetary Authority of Singapore「Section 13O and 13U Tax Incentive Schemes」https://www.mas.gov.sg/
- Monetary Authority of Singapore「Variable Capital Companies Framework」https://www.mas.gov.sg/regulation/acts/vcc-act
- Singapore Economic Development Board「Global Investor Programme」https://www.edb.gov.sg/en/our-industries/investment-services/global-investor-programme.html
- Hong Kong Immigration Department「Capital Investment Entrant Scheme」https://www.immd.gov.hk/eng/services/visas/CIES.html
- InvestHK「Capital Investment Entrant Scheme Overview」https://www.investhk.gov.hk/
- Securities and Futures Commission Hong Kong 年次報告書 2025
- DBS Bank「Private Banking Overview」https://www.dbs.com.sg/private-banking
- UBS Global Wealth Management「Asia Pacific Report」2026
- Bank Julius Baer「Wealth Report Asia」2026
- Asian Private Banker「2026 AUM League Tables」
- Preqin「Asia-Pacific Hedge Fund Report 2026」
- Campden Wealth「Asia-Pacific Family Office Report 2026」
- 国税庁「外国関係会社に係る所得の課税の特例(タックスヘイブン対策税制)」2025年版
- 国税庁「国外転出時課税制度」2025年版
- 財務省「租税条約ネットワーク一覧」2026年版